言葉だけが
ここ数日、1人の方と何気ない文通をしている。文通とは言ってもインターネット上でのやりとりだけれどね。ビデオゲームで知りあった方だ。
万人に伝わるように説明するのは難しいんだけれど、あるアクションゲームでその人が強敵を倒すための仲間としてたまたま僕がランダムに呼ばれて、一緒に倒した。ただそれだけのことなんだけれど、その後、感謝のメッセージが届いて。僕は「知らない誰かと協力する」というゲーム体験が好きだから一緒に強敵を倒すというのはよくあるんだけど、感謝のメッセージを送ってきたのはその人が初めてだった。そこからしばらくして、そのゲームの新作が出たときに「あのゲームやってる?」みたいな連絡がきて。そっからちょっぴりだけどメッセージを交わしている。そういうつながりの構築ってゲームやっててすごい好きなんだ。
思えばNintendo Switchで出ている「マリオテニス エース」でも似たような体験がある。このゲームの中にはダブルスのペアをオンラインでランダムでマッチングしてトーナメントを戦う、というオンラインモードがある。顔も名前も声も知らないし交わせないどこかの誰かと、「マリオテニスで勝ち抜く」という共通の目的だけを旗頭(はたがしら)に試合をする。その中では奇妙な信頼関係が生まれていたし、その後Twitterか何かでメッセージが届くことがある。
何も直接会話するだけがつながりじゃないよな。全然違うハナシをするけれど、イスラム教徒のラマダンも、あれコミュニケーションなんだよな。「世界中の教徒が同じ試練に立ち向かっている」「自分は1人じゃない」っていう。なんだっけな、何かで「言葉だけが想いをつたえる手段ではないよ」みたいな言葉もあった気がするけれど、ほんとそうだ。言葉はむしろ後付け。