イオリンの手紙

瓶詰めの紙切れ

生きている言葉

「ギルティギア ストライブ」というゲームでは、ストーリーモードと称してアニメのようなものが見られる。その中でとても好きなセリフがあって。 劇中であるとても強力な力を持つ小さい女の子がいてね。彼女の兄はある男によって殺された。少女はその仇を討つために生きていて、その仇の存在を知っているらしい人物の元を訪れる。でもその人物は「復讐なんてやめとけ」「まともな大人になれなくなる」と諭す。まぁよくあるプロットだとは思うんだけどさ。その時の少女の怒りの反論がすごく好きで。 「私、人を殺したいんですよ?こんな気持ちのまま、まともな大人になんてなれるわけないじゃないですか!」 なかなか物騒な言葉だけど、なんて見事な言葉なんだろう、と思って心底震えたよ。もちろん、この言葉を発した方の演技も素晴らしかったのだけれど、こういう「生きた言葉」を書ける脚本家はとても良いなと思う。そりゃあそうだよ、と思う。 創作に限らず、僕は生きた言葉が好きなんだろうと思う。その人の感情というか主観が乗っている言葉が好き。そこにこそ、本当のことがあるんじゃないかなと思う。逆にそれっぽく言い得ているように見えるけれど主観が乗っていないような、変に客観的に寄りすぎているような言葉にはあまり惹かれないかも。 それは誰かと話している時もたまに思う。「君の今の発言は、君じゃなくてもええよな」みたいなことがね。最近で言えば「今のは、AIに言わせても同じやね」といったところかな。僕は君の言葉が聞きたい。
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