老害ちっく
僕はおおよそ30歳くらいから「老害」になる可能性を考えなきゃいけない、という自覚を持ってきた。おおよそ進退は衰えを見せ始めてくるだろうし、守りにも入りたくなるだろう。僕が新社会人のころ、僕のボスは30歳を越えていたと思うけど、「わからずやだなあ」「一つ上の世代の人だなあ」と思っていた。僕が30歳になったら、きっとそう思われるぞ、だから気を抜いちゃいけないぞ、と。気を抜くとすぐに老害ってやつになるぞ、と。
はてさて、今は36にもなり、会社の名簿で見たらなんだか上から数えてだいぶ早くに僕の名前が出てくるようになった。それを目にするたび、身が引き締まる思いになるのだけれど。一方で「僕のやり方のほうが良くない?」「そのやり方、失敗が約束されてない?」みたいなことが頭をよぎることもなくはない。ただ、どう動いても老害ちっくになるなあと頭を悩ませる。僕の世界観では「こっちが良いよね」というのは明確だけど、それがみんなにとってそうかは分からないし。
鈴木おさむさんが放送作家をやめる決意をした時のきっかけの一つとして、「自分が業界に居座ることで、若手のチャンスを奪っていることに気付いた」と語っていた。鈴木おさむさんに仕事が集まったり、鈴木おさむさんのやり方にみんなが合わせたりすることで、若手の成長や活躍の場を奪っている、と。自分が身を引いてみると、若手は若手で勝手にやりだして、なんだかんだうまく行くもんだ、と。
でも一方で、専門家の意見として言うべき時もあるように思う。日々の研鑽や過去の学びから判明していること。僕からすると「万馬券狙いで勝率低い馬券に全財産つぎ込むんじゃないよ」みたいなハナシ。でも、そう言って伝わるなら破産する人はいないよね。でも、ここで破産する可能性も含めて「挑戦する機会」を与えるべきなのか。僕はNOを突きつけたい。
一方で「破産したとしても死なないようなインフラを整える」みたいなのもしたくはないわけで。答えはないけれど、そんな問題意識を持っているよ。