イオリンの手紙

瓶詰めの紙切れ

身体性を持ち続けること

何をするにも、身体性が伴っているかがとても大事だ。頭で考えるとか、思考するとか、そういうことはさも、身体とは切り離されているかのように感じてしまうけれど、その実、脳みそと肉体は繋がっている。脊髄だとかなんだとかでね。この身体を動かしているのは脳みそで、切り離されてなんかいない。 だから、身体の調子が悪いときは脳みその調子だって悪い。「なんか身体がだるいから、今日は頭を使うことをやろう」ってのはオカしなハナシなんだね。むしろ「身体がだるいってことは、頭も調子悪いのかもね」みたいに捉えてもいいくらい。逆もそうで、身体の調子が良いときは頭だって元気なのさ。だから、調子が良いときは身体も良く動くし、頭も良くまわる。逆も然りさ。 こうやって文章を書いているときも、スムーズに言葉が紡がれる時は身体全体で書けている時だ。そんな時はキーボードを打つ指も、いや指だけじゃなくて、身体全体がまるでピアノ奏者のように波打つ。目を閉じていても言葉が紡げる。何かアイデアを考える時だって、プログラムを書くときだってそう。音楽を奏でるように、身体性が伴っている。 だからきっと、会議だとかなんだとかも、身体性を維持できる形でやったほうがいいんだろうね。身振り手振りってやつが案外、アウトプットやアイデアに直結してるのさ。考え込むときに眉間にしわを寄せて、口をすぼませて、腕組んで「うーん」だなんて言ってみる。まぁ会議じゃなくて井戸端会議でも、そうだね。
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