イオリンの手紙

瓶詰めの紙切れ

言葉は架空

僕が言葉に期待するのは、「膨らみ」なんだと思う。現実を言葉が言い表すことはできない。言葉が現実に先立つことはないと思っているからね。目にした夕焼けの美しさを言葉で言い表すことなんてできないのさ。だからこそ、主観が大事だと常に思うわけで。 主観と客観という言葉もなんだか変にバイアスが掛かっている気もするよな。客観なんてモノは本当に存在するのかい。怪しいねえ。言葉って、無いモノを創ることもできてしまうんだ。「0」も存在しない。「エネルギー」も存在しない。同じように「客観」ってのも存在はしないんじゃないか。僕と君は在るけれど、君だって主観だろう?僕から見た君は客観なんかじゃなくて「もう1つの主観」だ。 これは別に言葉を否定するんじゃなくて、むしろ言葉には、言葉にしかない力があるわけだ。まるで存在しているかのように錯覚することができる。そしてそれは時に凄まじい力を持つんだ。事実、「客観」って言葉は「主観」という実在するであろうモノと対等なくらい力を持っている。 僕が好きな言葉に「そんなことより」という言葉がある。この言葉は見た目すごくやわらかいのに、それまでの出来事を全部なかったことにするくらいの力がある。小田和正さんの「そんなことより幸せになろう」という唄で衝撃を受けた。 森山直太朗さんの「絶対、大丈夫」という唄に関するインタビューで「"絶対"も"大丈夫"も、すごい心強いのに、この2つがくっつくことで、どうしようもなく不安になるよね。」と語っていた。僕が言葉に期待しているのは、きっとココにある。
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