イオリンの手紙

瓶詰めの紙切れ

求めることなんて

1ヶ月前と今では仕事というか、物事への向き合い方が随分と変わったように思う。というかここ半年は、求められていることに応えるために無理をしていたように思う。求められているってのは一見嬉しいんだけど、それって危うさもあるんだよ。求められることをやるだけ、ってのは美徳のように聞こえるけど、逃げのようにも思うよね。 それは「求める」だなんてのは簡単に移り変わるからだ。喉が渇けば水が欲しいけど、たっぷり飲めばもう結構。お次は茶菓子でもくださいな、ってハナシになるでしょう。そこで「さっきまで水が欲しいって言ったじゃないか」だなんて叫んでも「もう飲んだからいらないんだよう」って返されるだけで、そりゃごもっとも。 「求めてます」って言っても本当に求めているわけじゃない、ってことだってあるしね。水が欲しい、って言ってるけど、いざ水道水出したら「それはないわ」みたいに返される、といった感じ。逆もそうで、富士山麓まで水を取りに行ったら「えっ、水道水でよかったんやけど」もあるね。あやふやなのさ、人間の「求めてること」なんてのはね。 だから、「よければどうぞ」「よければやるからね」くらいがちょうど良い。こちらが良いと思ってやる。それが気に入ってくれるなら良し、そうじゃなければ売れない。そんな感じのほうが僕の場合は健全なんだね。 「何を求めてますか」なんて聞くのも野暮だしね。こっちでコレいいよね、ってモノを考えて。それを出した時に「これを求めてたんだよ!」って言ってくれるような。そういう順番だよね、きっと。
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