その人の世界での僕は
人間なんて矛盾だらけだ、と自分を見ると一目瞭然なのに、他者に対しては「この人はこういうモノだ」と思ってしまう。いや、人によっては「自分って、こういう人間なんです」と思い込んでいることもいっぱいあるんだろうな。
僕自身、自分は人見知りの部類だと思っているけれど「人見知り」って言葉で片づけるのは違うとも思っている。単に「知らない人と仲良くしたいと思わなければ、そういう場所にもあんま顔出さない」というだけだし。一方で「そういう場に入ったら入ったで割と楽しめる」という部分では人見知りじゃない。だからこそ「これは大事な飲み会だ」と割り切れれば参加して精いっぱい楽しむわけだし。その姿を外から見れば「いや全然、人見知りじゃないですよ」となるわけで。
で、まぁここにおいて「いやいやアレは僕は割り切ってるだけでね」みたいなことを言ってもしゃーないというか。他の誰かから見て僕が人見知りではないなら、その世界線においてはもう、イオリンは人見知りじゃないわけだからね。まぁ納得してもらうという意味では説明するのもいいけれど、否定するのはちょっと違うよな。
とはいえ僕はよく「いえいえ、そんなんじゃないですよ」って言っちゃうんだけどね。特に立派な位置に自分を置かれるとね。「いやいや、ガス代払うの忘れて止められるような人間ですよ」って。恥ずかしいんだろうな。受け入れちゃえばいいのに。
ああ、でも、「よその世界線での自分」と「自分の世界線での自分」は割り切ったほうがいいね。体幹ブレちゃうからね。立派な象徴に映っているからといって、立派に振る舞わなくてもいいし、逆もそう。世界線が違うんだから。