イオリンの手紙

瓶詰めの紙切れ

インプットに先立つもの

友人から「イオリンって、どうやって本とかのインプットを自分の生活に反映しているの?」と聞かれた。曰く、彼は本を読んで最初は影響を受けるんだけど3ヶ月くらいで影響がなくなっていくそうだ。 僕自身、あんまり本から直接的に影響を受けている感覚はなかった。同じように3ヶ月もせずに忘れてしまう本だってある。でも一方で「あの本で言っていたんだけど」「誰々さんが言っていたんだけど」みたいなことは大量にあるから、骨身になっていることもいっぱいあるんだろう。じゃあそれがなぜ骨身になっているのか。 その場では良い答えを返せなかった。「読んでて"良い"と思ったらその場で試しはじめているからじゃない?」と答えて、それは確かに一理ある。「書」の先生が「日本語って、本来は縦書きなんだ」「縦書きにすると出てくる言葉が変わる」といったことを言ってて、その場で紙とペン取り出して書いてみて、「ほんとうだ!」ってなってから、今も手帳は縦書き。 今考えると、大きくは「当事者意識」なんだと思う。それは本に限らない。何するにしても、その場に自分を置いている。「自分だったら、こうだなぁ」というのを何するにしても考えている。インプットとはつまりそういうことなんじゃないかなあ、とも思う。糸井重里さんと宮本茂さんの会話で「一番仕事をしているのは、ドラマ見ていたり、犬の世話をしたり、奥さんの気持ちを考えたりしている時だよ。」と言っていて、それこそが当事者意識だと言っていた。 じゃあどうやって当事者意識を持つんだい?というのは、ここで初めて「そういう実習やってみるか」ってなるかもだね。演劇とかは良いと思うなあ。僕自身、子どもの頃から漫画やゲームを朗読していたしね。
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