イオリンの手紙

瓶詰めの紙切れ

他者完結

心地よい距離感というのは人によって違う。それは愛する人に対してであっても、きっと違う。毎日愛を囁いて欲しい人もいれば、たまにデートして、あとは一緒に生活しているだけでいい人もいる。あるいは「愛してる」って言葉じゃなくて、背中で感じているだけでいい人もいるよね、きっと。 はてさて、本谷有希子さんの「生きてるだけで、愛」という小説がある。それに宛てた解説文の中に「自己完結できる人間は恋愛しない(できない)。二者完結なんていうメンドクサイ関係を構築する必要がない。」という言葉があった。この言葉が僕の中ではすごく腹に落ちて、今でもたまに思い出す。 僕も昔は恋人にべったりだった時期があるし、「将来の夢は素敵な嫁さんと縁側でお茶でも飲みながら静かに暮らすこと」だなんて思っていた時期もある。今でもそれは素敵な人生だなあと思う一方で、今は誰か一緒に過ごすなんて想像も及ばない。それはつまり、僕は自己完結しているんだ。四六時中ではないにしても、基本的に僕の人生は自己完結している。だから、他者完結という人生に足を踏み出す意欲がないんだろう。そちらでしか得られない幸福があると思っていても。 なんかでも犬や猫などの動物と暮らしたいなあとは思っている。これも「他者完結への道」ではあるんだよなあ。案外、動物と暮らし始めることで他者完結の人生が開き始めるのかもしれないね。 と、書きながら「生きてるだけで、愛」の実写映画がAmazonのPrime Videoにあった。この週末見ようかな。この小説自体もすごい好きだった。
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