自分で気付くしかないとしても
バガボンドという漫画の中で、宮本武蔵がさまざまな斬り合いを経て無我の境地に近づいた際、あるお偉いさんと会話する場面がある。そのお偉いさんの発言が今でも心に残っている。「みんながお前のような心持ちであれたら、不要な闘いは避けられるだろう」「そこに至るには、やはり闘いが必要なのか。」「そのためにわしらは子々孫々、闘い続けるのか。」そんな会話。ここで場面転換が入って、この疑問に対する答えは劇中で出ていなかったように思う。
はてさて、斬り合いに限らず、「境地に至る」のは、いつでも「失敗」とセットだ。失敗を繰り返し、それに対して挑み続け、その先に境地に至る。でも、その境地は傍(はた)から見ると、すごく単純で当たり前なように思う。たとえば「相手の気持ちを考えましょう」みたいなこと。あるいは「よく眠りましょう」でもいいし「自分の人生を大切にしましょう」でもいい。それらは単純に見えるけれども、その境地に至れている人は果たしてどのくらいいるだろう。僕自身だってきっとできていない。
では、「自分の人生を大切にしましょう」という境地に至るためには、失敗・・・つまりは「自分の人生を大切にしない体験」というものを繰り返さなきゃいけないのだろうか。そのために、僕らはずーっと「自分を大切にできない瞬間」を続けるのかな。
そんなことを考えると、無力感のようなものが込み上げてくる。結局は自分で気付くしかないとしても、何かできないのかなあ、と。