教育ではなくてレベルデザイン
先日、同僚たちの、教育に関するハナシを聞いた。抽象化して話すと、「手取り足取り教えるべきか」「あえて困難に放り込んで自力で這い上がらせるべきか」みたいな方針のハナシ。これを考え方の違いと捉えることもできるけれど、ふと「レベルデザインっていう概念が欠けているんじゃないか?」と思って。
レベルデザインというのはビデオゲームのデザイン論で語られる概念だ。たとえばマリオでは、最初は平坦な道で前からクリボーという小さい敵ががテクテクと歩いてくるだけ。そこで「ジャンプ」「踏みつけ」といった操作を覚える。そうすると次はちょっと段差のあるところでクリボーが歩いている。さっきよりもちょっぴり正確なジャンプ操作が求められる。こんな風に、ちょっとずつ難易度をあげて、プレイヤーが達成感を得て「次もやりたい!」って思いながら挑戦を繰り返していく。そういう設計をレベルデザインと呼ぶ。
僕は「教育」という概念を仕事にあんまり持ち込まないけれど、代わりに持ち込んでいるのが「レベルデザイン」かもしれない。最初は手取り足取り説明するし、目の前でやってみせる。その次に「一回やってみよっか」とやらせてみる。後ろから見守って、必要なら丁寧に指導する。それが終われば徐々に指導を減らしていく。もちろん、いつでも前のステージに戻れるように、選択肢は残しておく。これは教育というよりレベルデザインだ。
で、レベルデザインという概念を持ち込むと、冒頭の主張は衝突しなくなるんじゃないかな。実際僕の中では両立した上で、一貫した態度として成立しているわけだし。何より、レベルデザインを持ち込むことで「難易度の押し付け」がなくなる・・・気がする。ちゃんとしたレベルデザインができていればね。