イオリンの手紙

瓶詰めの紙切れ

忘我

毎日続けるというのは、なかなかに根気がいることだ。僕はこの「手紙」という媒体を毎日書くぞと心に決めて書き始めた。気付けば3ヶ月以上、「毎日、その日に何かを書く」というのを続けている。最近は大体、朝仕事前に一筆仕上げることにしている。朝書けない日もあるけれど、大抵夜のほうが書けない。そしてズルズルと引きずって「あぁ、1分前だ!」と慌てて仕上げる日が何日かある。 こういった毎日のアウトプット習慣というのは、大体、最初の20日くらいは余裕だ。やる気もあれば、それまでの貯蓄がある。「こんなこと考えたことあるなあ」ということを書くだけで20日くらいは稼げる。本番はそのあとの自転車操業になってからだ。 貯蓄がなくなってからも毎日書くためには、毎日、何かしらを吸収したり感じたりといったことを続けなきゃいけなくなってくるし、それでもなお、「おお、今日は本当に書くことがない」という日もある。正確には「書くことはあっても表には出せないぞ」ということばかりの日。それでもなお、意地で書く。意地だね。まごうことなき意地。 大学の頃、「アイデアマラソン」という、毎日アイデアを1つ以上ノートに絶対に書きためる発想法を何年かやっていたけれど、当時も同じことを思っていたし、なんだったらアイデアマラソンを考えた樋口先生が言っていたようにも思う。「出枯らしになってからが本番」と。 難しいのは、「この先に辿り着ける境地がある」って思うのは、漠然と感じながらも意識してはいけない気がするんだよなあ。下心が見えた瞬間に、なんだかその境地ってやつは遠ざかる気がするんだ。目的が下心になっちゃあいけないんだ。一発一発を真剣にやる。「100本、毎日何か書いたら、間違いなく何か変わるよ」と思いつつ、それを忘れなきゃいけない。忘我ってやつかね。 あるいは、下心がなくなるくらいの大変な、意地が必要なくらいのデザインが必要なのかもね。
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