イオリンの手紙

瓶詰めの紙切れ

社会の遺伝子

今日は東京に来ている。ほんとはお盆休みの間は遠出をするつもりがなかったのだけれど、東京に住む友人にバーベキューのお誘いをいただいた。高速渋滞に巻き込まれたくないからとちょっぴりだけ悩んだのだけれど、「行く」とだけ答えてどうやって行くかはその後考えることにした。 調べてみると、お盆の渋滞が発生するのは逆方向だろうという仮説が立ったので向かうことにした。まだお盆中ごろだから、東京から出て行く人たちは大勢いれど、東京に向かう車は少ないんじゃないか、と。さらに、東京に帰る人たちは夕暮れ以降に変えるだろうから、夜のうちは山梨まで向かい、朝に東京に入れば渋滞はないんじゃないか、と。その仮説はいまのところあたっていて、ものの見事に渋滞を回避した。「この先2時間の渋滞」の直前で高速道路から降りた昨晩は、内心してやったりのキブンだった。 そして今朝はまさに、朝東京から出る大渋滞を横目に、快適に東京入りを果たした。むしろ東京の朝はいつもより空いていた。こうまで仮説があたると気持ちいい。渋滞がないのもあいまってね。 それにしても、反対車線の渋滞はすごかった。ゆるやかな渋滞も含めれば30kmじゃすまないと思う。あれだけの人間が、家庭が、世界があるってのは、奇妙なキブンだ。そしてそれらが、いっせーので同じ日に大移動をしている。社会とは大きな生き物だ。まるで遺伝子に刻まれているような動きだ。 潮騒にいる蟹たちは、潮の満ち引きに応じて海岸を移動する。塩が満ちれば岸側に非難し、潮が引けば海のほうにいく。おもしろいのが、この蟹たちを密閉した箱に入れたとしても、同じような動きをするそうだ。塩が満ちる時間、潮が引く時間に、同じような時間をする。真っ暗な部屋なのに。それは遺伝子に刻まれているのか、母から教わったのか。 人間も同じだ。確実なのは遺伝子には刻まれていないというところ。社会・文明によるものだけれど、それが生き物のように、遺伝子に刻まれているように動くんだ。
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