イオリンの手紙

瓶詰めの紙切れ

意地で書くんだ

今僕は、東京の友人宅にいてまさに寝る前にこれを描いている。今日は朝から用事が詰まっていて文章を書く時間がついぞ取れず、この夜更け過ぎになってスマホで今この文章を書いている。 毎日続けるとした時の、ここの意地が今ものすごく大事。正直なところ眠くて仕方がないし、果たしてこんな状況でいい文章なんて書けるのか、と。実際にある程度書いた文章を一回消して、書き直している。「もうよくないか?」という気持ちが出てこないわけではないのだ。 それでもやると決めたんだから、意地でやる。意地の見せ所だ。ここで足腰を立たせられるか、意地を見せられるかが、とても大きなものを左右している気がする。書いた文章の巧拙ではなくて。もちろん、上手い文章を書くというのは大事だが、それ以上にも「意地で捻り出したぞ」ということは大事だ。 それはこないだ書いた「思考に車輪を」という話と似ているかもしれない。とにかく意地で書くんだ、というのは、とにかく車輪をつけるんだ。ガタガタでもいい、形がバラバラでもいい。意地で車輪をつけてしまう。それに近い。 そう考えると、いわゆる責任感だのオーナーシップだのという言葉も、「意地」という話な気がするね。意地を見せられるかどうかが求められているのかな。
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