言語の霧
5年ほど前、僕は「英語を話せるようになりたい」という意欲が強かった。今働いている会社は海外の方が多くて英語が飛び交っているんだけれど、入社当時、英語をしゃべれなかったころは「ここに入れば働いているだけで英語の環境に身を置くことができる」というログインボーナスを狙っていた。
はてさて実際、ある程度は英語が使えるようになったのだけれど。今のところは「これ以上はあんまり良いかな」と思っている。多分、半人前で、例えば接客業とかで使えるレベルでは全くないのだけれど、それでも、英語については一旦ココらでいいかなと満足している。今はそれよりも日本語の方が楽しいし、もう少しレイヤーを広げた「言語」というモノに向き合っているほうが楽しい。
日本語同士であっても実のところ僕らは誤解だらけの日々を生きていてさ。同じ会話をしていても、すーーっとハナシが通じる時と通じないときがあるでしょう。そこには、「誤解を生じさせる何か」あるいは「誤解を生じさせない何か」があるわけで。多分だけど、その何かをちゃんと見つめていないと、例え英語がしゃべれたとしても、交流はうまくいかないんじゃないかな。
それは広義の意味合いとしての「言語の壁」だね。いや、壁っていう言い方もちょっと違うかもしれないね。霧とかに近い。言語間の霧。届くは届くんだけれど、乱反射して霧散したり、幻が映ったりする。幻を見ていては、会話はできないよな。