イオリンの手紙

瓶詰めの紙切れ

Peace of Mindの上に立つ

Peace of Mind、つまり心の平穏っていうのは何よりも大事だと思う。凪であるということだけではなく、平穏であるということが大事。そう言われれば、まぁおおよその人たちは反対はしないと思う。みんな心の平穏は欲しいもの。 ただ、自分の心の平穏さえ守れていれば、後は何をしてもいいのか。あるいは、心の平穏を守るためならば何をやってもいいのか。そう問われれば、それは違うよなあ、という気がしてくる。アドラーさんが「人の悩みは全て対人関係だ」と言ったそうだが、じゃあ悩みをなくすために他者のことを気にかけなくなるのは、違うよな。 また、心の平穏と言っても、決して心の天秤が均衡であることを指すわけじゃないよな。天秤がつり合っていても、重りを載せすぎると支柱ごと崩壊してしまうことだってある。ちゃんと重りをリリースしていかなきゃね。そしてリリースする時にも、ちゃんと重心を意識しないと倒れちゃうよなあ。 こういった部分は、身体づくりの一環のように思う。つまり優しさが行為ではなく状態であるように、心の平穏も行為ではなく状態。ヨガとか瞑想とかなんだとかも、身体づくりの一環であって、Peace of Mindな状態の身体ができていることが大事。ただ瞑想をさせられても響かないしやめちゃうだろうし。その手前の重心がPeace of Mindに向いているか。その上に立っているかだよな。 そして本当にPeace of Mindの上に立っていれば、心の平穏を保つ努力なんてしなくていいはずさ。
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