イオリンの手紙

瓶詰めの紙切れ

パラレル

僕は根っからの根無し草だ。最悪を想像して、それが例え家なきジジイになるとしても、まぁそれはそれでいいか、と思えるのは、僕には帰る家族も帰る家も持たないからだ。いきなり隕石が降ってきて一文無しになっても「まぁいいか」と思える。 そんなハナシをしていたら、ある友人から「たまにうらやましくなるよ。」と言われた。僕は「ふふふ、ツイてたよ。」と返した。そう、これはツイていた。あの時、ああしていたら。あるいはあの時、こうなっていたら。それが過ちなのかどうかは論じないにしても、そういう分岐で別の方に転がっていたら、今僕は全く違う人生を歩んでいただろう。選んだ日々もあるけれど、パチンコ玉のように転がり落ちた先が今だった、という部分も多い。 今でしか得られない幸せはもちろんある。でも、別の転がり方をしていたら、その先でしか得られなかった幸せもある。逆もそうさ。苦しみだって、ここだから受ける苦しみもあるし、逆にあっちの道で受けた苦しみもあろうよ。 今僕はこの道の上に立ち、この流れの中を漂っていて、そしてそれを「僕は根っからの根無し草だから、合っているよねえ」だなんてコーヒーを飲みながら思うわけだけども、それだってあっちの道にいても「僕は根っからの愛と情の人間だから、家族を愛しているのは合っているよねえ」だなんて性懲りもなく思うのさ。
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