誰に届くでもない場所でしか
ここに今書いている文章もそうだけれど、僕はインターネット上に文章やコンテンツを置くことが趣味の一つだ。宣伝はしないけれど隠しもしない、そんな場所に自分のコンテンツをポツポツと置いていく。誰かに見てもらいたいわけではなく、「見える場所に置きたい」のだ。そうすることでしか生み出せないモノがあるし、満たされない何かがある。
もちろん逆もあって、誰に見せる前提もない日記帳にしか書けないこと、生み出せないモノもある。それは決して愚痴や文句ではなく、秘めた恋心というわけでもなく、そうだな、「書く」という行為には「どこで書くか」「何に書くか」「どこに置くか」みたいなことも一要素としてあるのさ。
今この場所だって現在「手紙」という名前をつけているけれど、誰に届けるというわけではない。ただ、「手紙」というカタチでしか書けない何かがある気がしている。未来の自分?あるいは過去の自分?そうでもない、鳩に食わせるだけの何かであっても。
届けるわけでなく、置いていて、それを誰かがふと見かける、くらいがいいよね。それが実際にはなくても、そういうことに思いをはせながら書く。それでしか書けないモノがあるんだねえ。