早くても
早ければ早いほど良い、とか、時短だとか、効率だとか、そういう言葉が広まって久しい。ここ10年くらいだろうか。僕が大学生の頃から、スマホというものが普及してから、「スキマ時間の奪い合い」という概念が生まれ、そして時短というものも生まれてきたように思う。映画を倍速で観ることの是非が話題にあがったのも随分前だ。
はてさて、そういうのは見え方の違いで逆に転ぶ。例えば僕はゲームをクリアするのは「遅ければ遅いほど良い」と思っている。だって同じ5000円だの1万円だの払って、20時間楽しむよりも100時間楽しんだほうがお得でしょう。本を読むときも、例えば情報を得たいならば素早く読んだほうが効率が良いけれど、楽しみたいならゆっくり読んだ方がお得さ。
映画などを楽しむにしても、一概に倍速だから早いというわけでもない。僕らはコンピュータのようにダウンロードしているわけじゃないから、通常の速度でしか得られない経験が倍速によって失われていることもある。一方で、ただ何かの情報が得たいならドンドン倍速してその情報を得ればいいと思う。実際僕は何かの会議の記録とかは大抵倍速で聞いているし、ドキュメンタリーとかも倍速で観ることがある。何を得たいか、何を楽しみたいか、だ。
あと、物事にはタイミングがどうしてもあって、本を読むのにも、身体の波長が上手く重なっていないと楽しめない。だから、「早ければ早いほどいい」わけじゃない。「思い立ったが吉日」って言葉は、「思い立つ」という条件がある。思い立ってもいないのに無理やり始めても、実は吉日じゃない。