イオリンの手紙

瓶詰めの紙切れ

ホームとアウェイ

長野に帰ってきた。帰ってきた、という感覚がある種しっくり来るほどには、長野という場所にホームを感じているんだなあ、と思う。車で諏訪湖あたりにさしかかると、思わず「帰ってきたなあ」だなんて言葉が出てくるほどに。 あるいは、東京という場所に強いアウェイ感があるんだろうなとも思う。良い悪いじゃなくてね。ほら、旅先とかもアウェイでしょう。それと同じ。訪問先であり、「おじゃまします」を言う先なんだよ、東京は。僕の勤め先はそこにあるのにね。 ホームやアウェイってのは単純な場所のハナシじゃなくて、環境的なことにも依存するんだよ。人が多い場所に僕はアウェイを強く感じる。だから、自然豊かなキャンプ場とかでもそこにいろんな家族が訪れていたらアウェイだ。僕にとってのホーム感は「ひとり」なんだよなあ。ひとりになれるというか、ひとりで在れるというか、そういう場所がホームであり、僕の帰る場所だ。 繰り返すけれど、良い悪いじゃなくてね。たとえば今回の東京遠征は軽いパーティのようなものに訪れたんだけど、パーティなんてむしろアウェイ感を出すほうがいいでしょう。そのアウェイ感は言い換えれば、特別感であり、招待したんだよということだからね。それに、アウェイ感と居心地の悪さ、ってのは切り離せることだしね。 あ、ホームパーティなんて言葉もあるな。ホームパーティってやつは、どういうもんなんだろうね。僕、体験したことないんじゃないか。
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