イオリンの手紙

瓶詰めの紙切れ

なんでもない、意味のあること

長野にいる限りは、9月になって秋のような感覚が少しだけ見え隠れしている。とはいえ長野でそうなのだから、東京や平地はまだまだ茹だるような暑さなのだろうなあ。さすがに38度とか40度とかいう話を聞くと、それが異常かどうかは別として、随分と暑くななたものだと思う。 そう考えると地球の生態系というのも、随分と絶妙なバランスで成り立っているものだ。日本という小さな島国でさえ少し北に行けば寒くなり、南に行けば暑くなる。海を越えれば今でも氷が浮かんでいるし、あるいは熱帯夜が広がっているんだろう。僕の住んでいるところだって、標高600メートルくらいだけれど、たったそれだけ上にずれるだけで涼しくなるんだ。東京〜長野感は200キロメートル以上離れているというのに。 こういう規模を感じると、僕なんてものは小さいものだなあとほとほと実感する。でも、そんな小さな自分が、小さな自分として体感すると、世界は偉大だ。アリから見て人間がバカでかいように、ちっぽけな僕から見て、地球はバカでかいよな。 「なんでもないよな」ってことと「とてつもない意味があるよな」ってことは、案外両立するもんだよ、きっと。むしろコインの裏と表みたいなもので、意味のあること、偉大なことをするということは、きっとなんでもないようなことをするようなもんなんじゃないかな。 たとえばふと、花を買ってそれをあげてみたようなことが一生の想い出になることもあるでしょう。それが大袈裟な薔薇の花束になると、それはなんだか色がつき過ぎて遠くなるよな。そんなこと。
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