イオリンの手紙

瓶詰めの紙切れ

自然に笑えていれば

キムタクが糸井重里さんとの対談でこれまでを振り返っている中で、いろんな大変なことのハナシをしていて。例えば1日6公演もあって、へとへとになった日々もある、と。それを「頭おかしいっすよねー」と言った後に、「でも、今みたいに"頭おかしいっすよねー"って自然に笑って話せるなら、全部オッケーだと思うんすよ」って言っていた。 思えばバガボンドという漫画でもそうだったし、ちはやふるという漫画でもそうだった。灼熱カバディという漫画でもそう。漫画ばかりで恐縮だけれど。「武蔵、もっと笑え」「一番かるたが楽しい時はいつやった?」「君はどんな道を歩きたかった?」これらは、キムタクさんの「自然に笑えるならオッケー」と同じハナシだ。逆に言えば、自然に笑えないなら全然オッケーじゃない。 一方で、自分の環境を卑下したような、冷笑が出てくるようではダメだよな。それは多分、キムタクさんの言う「自然に笑えている」じゃないんだよ、きっと。「自然に」が肝要でね。諦観や冷笑から来る笑顔は、自然じゃないから。無理に笑う、ってやつはむしろ「笑える」とは真逆だよな。実のところ、まだ「嘲笑」のほうが近いよ。冷笑に比べれば、嘲笑のほうがずっと「自然に笑う」に近い。 そんくらい、冷笑ってやつは危ないよ。毒のようにウィルスのように蝕んでくるしさ。でも「笑えているからオッケー」に思えちゃうでしょう。冷笑してても「笑えているからまだ大丈夫」みたいな。大丈夫じゃないんだよ、冷笑してたら。それは誤魔化してるだけなんだから。「自然に笑えていれば」の「自然に」が抜けてたら、全然大丈夫じゃないんだよなあ。 そういう意味で、まぁアイドルだから技術もあるかもだけど、キムタクの「自然に笑えている」感はすごいよな。
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