想いと歴史、経験
僕は前から、生成AIについて「おおよそ60点〜70点くらいのモノを爆速でつくるモノ」という評価をしている。これは今でも変わらない。生成AIの進化は目覚ましく、さまざまな分野で頭角を現しているけれど、それでも僕は「まぁ60点〜70点だよね」と思う。そして、これは構造的な問題だと思う。つまり「これAIで作ったんだよーー」って言われて提出されると魅力が半減するんだな。
ある種では老害的な感覚と呼ばれると思う。なんか機械で作られた衣服を見て「手編みじゃないなんて冷たい」「想いが載ってない」とか言い出すようなモノでさ。キーボードで打たれた文章を見て「手書きじゃないとね」って言い出すようなモノでしょう。これは忌避されるよねぇ。
でもさ。実際に「手編みの衣服だからこそできる体験」も「手書きだからこそ伝えられる体験」もあるのさ。そしてそれらは縫製工場によって、あるいはキーボードによってちゃんと失われている。僕らが生成AIを使う時にも、ちゃんと失われているモノがある。だから僕は「せいぜい70点止まり」だという認識。
70点を秒で作ってくれる、というのはそれだけで価値を持つけど、そっから練り上げて100点に近づけたり120点を出したりする仕事は多分なくならないと思う。わかりやすいところで言えば、「経験」「歴史」は、生成AIには原理的に不可能でしょう。そういう部分に輝くモノはあるよな。