老いをいただく
ふと、朝に書けなくて今これを寝る前に書いている。部屋にはアンジェラ・アキさんの「手紙 〜拝啓十五の君へ〜」が流れている。
この曲を最初に聴いたのは大学生の頃だったと思う。ものすごく良い歌だという記憶がある。当時の僕は、どちらかというと「十五の君」のほうに近い感覚で聞いていたのだと思う。自分はどんな大人になるかなんてことを考えていた。在りたい自分はあったけど、目指す夢だとかなんだとかは無かった。
さても今は僕も三十六。大人ってやつは、まぁ結果的には「ただの言葉」だったなと思う。大人だとか子どもとかはなくって、今の自分があるだけで。ただ違いがあるとすれば、老いをいただいただけだよな。そこには一歩一歩踏みしだいてきた日々は10年分かそこらあって。まぁいろんな間違いは犯してきたけれど、それでも今生きてきた日々は間違いじゃなかったと言い切れる。ちゃんと踏ん張ってきた。必死に生きてきた。
「今負けそうで、泣きそうで、消えてしまいそうな僕は、誰の言葉を信じ歩けばいいの?」
「今負けないで、泣かないで、消えてしまいそうな時は、自分の声を信じ歩けばいいの」
少なくとも、後者を言えるようには、なったかな。そりゃあ消えてしまいそうな時もたくさんあったけれど、それでも信じれる自分の声は持ち続けられている気はするよ。十五の僕や、あるいは五十の僕に対して、「自分にウソはつかなかったよ」と言えるだけで、まぁ上々だ。
アンジェラ・アキさんが次ステージに挑戦するために音楽活動を無期限停止したのが三十六の時。その時にこの楽曲のMVが改めて制作された。当時見た時も胸を打ったけれど、今見ても胸を打つなあ。胸の打ち方は全然違っていて、まぁそこもある種「大人」というか、老いの醍醐味だよな。