意欲じゃなくて重心
ちょっと前に見たキムタクさんと糸井重里さんの対談でさ。キムタクさんが「やりたいかやりたくないかじゃなくて、やるんですよ。」と言っていた。これまで色々大変なことがあって、そういう時にどういう風に臨んでいたのか、やりたくないこととかもあったんじゃないか。そんな疑問に対する答えだったと思う。
同じようなことを言っている人はいっぱいいる。やりたいかどうかはある種二の次で、頼まれたから、あるいはその機運が高まったから、やる、と。今映画やらミュージカルやらを創っているキングコング西野さんも言っていた気がするし、イチローも言っていた気がする。
多分、「やりたい」「やりたくない」よりも手前に、「やるのが自然」というレイヤーがあって、それが自然だな、と思えたらもう腹が決まるというか、「やる」に向けて足が進むんじゃないかな。きっと「やりたい」「やりたくない」っていうのは判断材料じゃなくて、ただの感情というか。インプットではなくアウトプット。意欲ではなく重心だよな。自分の生き方の重心。
僕が長野に来ているのも、意欲ではなく重心。僕の重心が東京には乗らずにバランス崩しそうだったから、もっと自然の在るほうへ、野生のほうへ傾いていた。だからその重心が落ち着きそうな場所に移動したというだけでさ。
「やりたいことをやる」ってのはむしろ前のめりすぎて重心崩すことにもなる。これは「腕ブンブン回してる人は空回りしやすい」に通ずるところもあるかもね。