イオリンの手紙

瓶詰めの紙切れ

あやふやな

人間、自分自身のことを振り返ると、アイデンティティというモノなんて存在しないよ、あやふやだよと思うものだろう。少なくとも僕はそうだ。でも、いざ他人のことを見ると、「あの人は芯がある」とか言うし、そうでなくとも「あの人は○○だね」みたいな言い方をしてしまう。それはなんだか失礼なハナシなのかもしれないなあ、とたまに思う。実際、会って「あなたは○○かなと思っていたんだけれど」と伝えてみると、「全然そんなことないよ」と返ってくることばかりだ。僕もそう。「そんなことないよ」と返すことが多い。僕は失礼だなんて思ってはいないけれど、たまにこういう言い方を嫌う人もいるよね。 アイデンティティ、つまり自己同一性というやつだけれど、そんな同一な自己なんて存在しないんだろうね。これは性質ではなくって、現象なんだよ、きっと。ある環境下において、そういうキャラクターを演じやすい、という現象。しかも「演じやすい」くらいが関の山で、必ずそのキャラクターになるわけでもなし。だって葉に止まるトンボだって、指を近づけてすぐ逃げる時もあれば中々逃げない時もあるでしょう。そんくらい、あやふや。 それはきっと、お仕事でもそうなのさ。例えば僕は文章が得意で、今こうやってサラサラと文章を綴っているし、そんな時の僕はきっとかなり文章達者だ。一方で、全ッ然なにも出てこないなあ、と筆が止まってしまう時もある。「文章達者」も結局、現象でしかないのさね。 だから大事なのは、「文章達者」という現象が出てきやすい環境と、それを逃がさないくらい、姿勢が「あやふや」であること。肩の力を抜いて、フットワークを軽くしておくこと。全てに対してね。
前へ
一覧
後へ