イオリンの手紙

瓶詰めの紙切れ

手作り

あっという間に尾瀬の長蔵小屋にいた3日間が終わりを告げた。あっという間に思えるのは、それがもう過ぎ去ったからなんだろうな。今は新潟県のホテルに着いてコレを書いている。 それにしたって良い体験だった。言葉はありきたりに還ってしまうけれど、少なくとも自分の普段の生活では体験できないことばかりだ。カジュアルでない山に行くことも、ツアーというものに参加することも、そこで会った人と会話するということも。 日々生活をしていると世界がどんどん凝り固まってしまうけれど、こうやって知らない世界を見ると、なんともはや、世界の懐は広いんだなあと体感する。山小屋におられる方々ももちろんそうだし、同じ参加者の皆様方々もそうで、すごいことだなあ。みんながみんなの世界を生きているんだなあ。 ツアーを開催いただいたほぼ日のスタッフさんが「手作りな部分も多くて」という言い方をしていた。多分、手の届かないところもあって…といった意味合いだったのかなと思うのだけれど、その在り方が自然だなあとも思った。お客さんとして傍目で見させていただいただけだけれども、ツアーの方や、山小屋の方の中にも、たまに垣間見える「あっ、じゃあどうしよっか」みたいな時間があって、それはとてつもなく人間だよなあ。 昨日は全く言葉にできなかったけど、その「手作り」あるいは「手触り」に対して、僕は自然を感じるのかな。手というのは人間の自然としての個性だものね。 とにもかくにもまた訪れよう。今度は友人も連れてみたい。季節的に来年かな。
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