イオリンの手紙

瓶詰めの紙切れ

生を生活にする

今回行った尾瀬のツアーでは、長蔵小屋さんの朝の部屋掃除を体験させていただいた。長蔵小屋のスタッフさんに実際に教えていただきながら自分たちで止まった部屋を掃除してみましょう、と、そういう企画。 長蔵小屋さんはとっても綺麗で素敵な小屋なのだけれど、そうは行っても山小屋だから、限られた資源の中で手入れをしている。一応水も電気もあるけれど、洗剤なんておいそれと使えないから、その手入れは文字通り手作業。布団をしっかり綺麗に畳んで並べて、ぞうきんで、数少ない旧型の掃除機をサッとかけて、ぞうきんで部屋を拭いて、といった昔ながらの掃除。 ただそのひとつひとつがとても丁寧でね。布団を畳むにしても、敷布団と掛け布団、あるいは毛布を重ねた時に折り目や幅が揃うようにしましょう、とか。ぞうきんをかけるときも、木目とかに引っかかって糸くずが残らないようにしましょう、とか、クモの巣とかを気をつけてとるようにしたり、とかね。 はたして僕は自分の家の布団でさえ、そんな風に細部まで気にかけて畳んだことはあったかな、と思いながら掃除した。今回体験したのは寝室の掃除だけだけど、同じような気持ち、心意気で普段生活しているところで暮らしてみるのは、それだけである種の「山小屋体験」を日常に落とせるのではないかな。 翻せば、たとえ30分でも、そういうところをちゃんと気にかけて暮らせるような日々でありたいね。朝起きたら布団を、ピシーッと畳んでさ。服もそうだね。そうしてビシーッと1日を始める。それは昼も、夜も。そういうところでちゃんと「生活」をしたいね。 以前、所ジョージさんが「お食事というのは、ちゃんとお皿に盛りつけるとか食卓に並べる事ではじめて "食事" になる。そういうところをおろそかにしてたらそれはただの "食" だよ」みたいなことを言っていた。同じようなハナシなのかもね。日々の暮らしもそういう部分をちゃんとやることで「生」が「生活」になる、みたいなことはありそうだね。
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