重心がグラつかないための緊張
今、「危機感」よりも2段階くらい優しい言葉を探している。「危機感」と言うと、なんだか50%くらいデンジャラスな感覚があるでしょう?でも、10%か15%くらいのデンジャラスを表したい。「やばっ」じゃなくて、「ん?」「おっ?」くらいのデンジャラス。でも不安でも懸念でもない。「違和感」にはデンジャラスが足りない。「緊張感」が一番近いかな。よし、緊張感と呼ぼう。
というのも、その緊張感というものが、自分の在り方において重心を保つのに重要な気がするんだよなあ。別にお仕事とか関係なくって、普段の何気ない生活でもね。布団を畳むときとか、お野菜を切るときとかにおいても、ある種の緊張感を身体にまとっていると、重心が崩れづらい。結果、ちゃんとお布団がキレイに畳めるし、お野菜もキレイに切れる。
先日行った尾瀬の山小屋にいる方々を見て、皆さんの重心がなんだか据わっている気がしたのね。日々いろんな事が起きるし、その中で上手く行かないこともある。でも総体として重心が安定しているから適応できる。そんな感じがした。実際、「なんかキツかったことあります?」と聞いても「キツかった・・・こと?」みたいな反応だった。
僕自身、今は長野の町中で暮らしているけれど、こっちのほうが山よりも安全だけれど、自分の重心がグラつきやすい実感がある。町中のほうが、うっかり「布団をチャチャッと畳んで出かけよう」となりそうになるしなあ。先日山を降りてから止まったホテルの従業員さんは、もう完全に重心がホテルに乗っていなかったな。早くバックヤードに帰っておしゃべりを楽しみたい、みたいなのが出ていた。
で、そこにある大きな違いは何かなあ、と思うと、山にいる間はどこかしら緊張感がずっとあるのよ。歩くにしたって気をつけなきゃコケるし、掃除するにしても油断したらすぐにクモの巣が出るし。休憩所にいても、窓を開けていたら虫が飛んでくるわけでね。僕自身、ゆーったりした時間を送りながらも、どこかに緊張感はあったよな。「この場所に24時間ダラリといても、大丈夫」って場所は、ないわけだ。
そういった、程よい緊張感が、「自然」ってやつにはつきまとうし、ソレを求める心が僕にはあるんだな。休憩時間に独りで登った山道はちょっと怖かったけれど、その緊張感がもたらしてくれる脱力もある。