人じゃなくって関係性と向き合う
ある友人が、まぁ人間関係に悩んでいるというか、人と向き合うことに悩んでいた。そのハナシを色々と聞いていたのだけれど、ふと、「相手に目を向けすぎている」と僕は言った。「相手じゃなくて、2人の間に目を向けなくっちゃ」と。おお、なかなか良いことを言うじゃないか、と我ながらに思った。
それは少し前に書いた「アイデンティティではなく現象を愛する」のと近い。僕には友人がいるけれど、僕はその友人たちとの関係、あるいは彼らと過ごしている時の空気感、シーンといったものを愛する。おしゃべりの楽しさとか、一緒にゲームをしている空間とか、あるいは単に散歩している時とかを。その現象を愛しく思っていて、それがゆえに彼らと過ごす空間を好む。
そこをすっぽ抜かして相手を見ると、途端にデコとボコに目がいっちゃうでしょう。あいつは気が利くとか、器量がいいとか、あるいは遅刻癖が、浪費癖があるだとか。でもそんなのは二の次なのさ。たとえ遅刻癖や浪費癖があろうとも、一緒にいて愛おしい風景が生まれるなら、それで友人でいいじゃない。
これは逆もあるよな。「あいついいやつなんだけどなぁ」っていうのをよく聞くけれど、例えいいやつでも、一緒にいてなんだか疎ましさを感じるなら、それはまぁ良い関係性じゃないでしょう。いいやつ、優しいやつ、ってのはそれも環境で変わる。それよりも、相手と、あるいは誰かと、どういう関係性や現象が生まれているか。そっちのほうに向き合うのが、まぁ「人と向き合う」の正体なんじゃないかね。
そう思えば時を経て関係性が変わっても、それを季節のように楽しめるんじゃあないかな。