先立つモノとそれっぽいモノ
生成AIが出てくることで「コンテンツの生産コスト」が下がり、結果的にあまり質のよろしくないコンテンツが世の中に溢れるのだろうなあ、と思っている。これに抗するには、逆説的だけど生成AIのコンテンツに触れまくることと、それ以上にAIじゃないコンテンツにも触れまくること。その上で「見たまんまに捉える」なのだと思う。たまに「生成AIの作った動画はもう実写と区別がつかない!」という発言を見るけど、まだまだ全然そんなことはないなあ、と思う。自分で作ると嬉しくなっちゃって「区別つかない!」と思うのだろうけれど、生成AIに表現できていないところはいっぱいあるよな。それは、先立つモノがないからだとも思う。どこまでいっても「それっぽいモノ」を作るのが生成AIであり、先立つモノをピンポイントに表現したモノには及んでいない。