思いを馳せる時は、清々しい気分で
人や物事の捉え方なんて、基本的には捉える方の自由だよねえ。僕は不安気質だから、つい、それを悪いほうに捉えてしまいがち。あれって要らない一言だったかなあ、とか、あれって気に障ったかなあ、とかね。そうやって思い悩みがちな性分だけれど。
でも、どうせだったら気分が良いほうに捉えたいなあと思う。どうせ自由で正解がないならば、伸び伸びとしたほうに勘違いしたほうが良いよね。遠い思い出だと美化しやすいけれど、昨日の思い出も美化しちゃったほうが気分は良い。
そのための処方箋の一つが、日々を精いっぱい生きる事だと思う。おろそかにしない。
僕も過去に、目も当てられないような失敗を繰り返してきたし、きっと今でも繰り返し続けている。でも、その時その時で、持てる力を振り絞ってがんばって、その結果が目も当てられないような失敗だったのなら、そこに悔いはない。あの時ああやっていれば、ということは沢山あるけれど、「じゃああの時、それができたか?」は別でしょう。
日々を噛みしめて生きていれば、「死力を尽くした上でのコレなら、悔いはない」と言えると思う。僕はよく「それは仕方ないよな」と口にするけれど、そこには清々しさがあるよ。
これはただ忙殺されよう、ということではないよ。逆に言えば、誰かの言った「豊かな暮らし」をなぞっていればいいというハナシでもない。自分の日々をおろそかにしないということ。もちろん布団を畳む生活でもいいし、あるいは「今日はもう疲れているから!明日やろう!」でもいい。心の底からそう思っていればね。それが「精いっぱい生きる」ということだと僕は思う。
よりリアルに近い言葉を使えば、ぐーん、と生きよう、ということだね。ぐーーーん、と。