自己でさえ、ただの現象
服屋さんや美容室さんで、店員さんから話しかけられることが苦手な人と、平気な人がいるね。僕は、平気なほうだ。1人でゆっくり服を見たい気分の時もあるけれど、それは僕がそういう気分なだけでね。他にも、カフェやレストランで顔を覚えていただくとかに対しても抵抗はない。小っ恥ずかしくなることはあるけれどね。
でも逆に話しかけたいとかもないんだな。本当にどちらでもいい。それは多分、僕は自己認識が希薄だからだと思う。自意識や我執とはちょっぴり違うんだよなあ。20代まではご多分にもれず自意識べっとりだったよ。でも、そんな時期でも「美容室で話しかけられるかどうか」って本当にどうでもよかったから。幼少期からずっとだ。
自意識とは別の自己認識・・・つまりアイデンティティというものが、希薄なんだと思う。「僕ってこういう人間だよ」ってのが、あんまりない。だから、服屋さんで話しかけられることが、現象としてしか捉えていないんだ。ドラクエで村人に話しかけられるかのような感覚に近い。
だから僕は僕のアイデンティティに対して話しかけられることは苦手だ。「三日会わざれば刮目して見よ」じゃないけれど、三日も経てば僕は別人だし、みんなそうだと思っているから。そんな僕に同一性を感じながら接されると、ちょっぴり困ることはあるかな。「イオリン」っていう現象はあっても個体はないから。
まぁみんなそうだと思う。女性なんて特に体のバイオリズムが顕著にあるわけで、時期に応じてホルモンバランスが変わってそれが体調なり何なりに影響を与えるわけでしょう。それは別人というか、別の季節でしょう。僕にもそれはあって、それを僕はもう、同一個体だと思ってないんだね。
そもそも、僕の姿だって、他の人から見たらその人の目や耳を通じてその人の脳が処理した結果の「現象」だからね。