松岡正剛さん、はじめまして
松岡正剛さんという方のハナシを最近聞いている。松岡正剛さんを表す肩書きは難しいけれど、学問家と呼ぶ。知と、その編集という概念に対する学問をしていた人。その彼がね、「本来は稼ぎと務めというのは別々だった」というハナシをしていて。
昔、江戸時代においては、お金が入る「稼ぎ」と、社会が回る、あるいは社会的意義のある「務め」は別々であり、これら2つができてはじめて一人前の人間だった、と。それが現代においては同じモノになっており、働き方改革であったり、コンプライアンスであったり、そういった概念が等しく宛てられてしまっている。それがゆえに歪みがでているんだ、と。
これを聞いて、すごい良いハナシをする方だなあと感心してしまって。調べてみたら去年お亡くなりになられていて、とても残念なんだけれどさ。天才だなこの人は、と思わずうなってしまった。たまにひざを打つ方が現れるのだけれど、この松岡正剛さんはまさにその1人になっていただけるだろうという実感がすでにある。
で、稼ぎと務めのハナシに戻ると、これらが一緒くたの「労働」として扱われることによる不調和ってのは本当に色々あるよね。例えば「務めたい人」と「稼ぎたい人」が同じチームにいると、それはちょっと良い感じにはならないよねえ、とか。あるいは、稼ぎは良くても務めがいまいちなら、それって務めを果たしたい人には向かないよねえ、とかね。
でも、この2つを一緒くたにすることは、逆に言えば「務めを果たすだけで勝手に稼ぎも満たされる」という一挙両得を取ろうとした、とも受け取れる。そう考えると悪いアイデアでもないかもしれない。多分、いけなかったのは、「稼ぎを人質にして、務めを強要される」とか「稼ぎを満たしただけで務めを果たしていると思い込んじゃう」みたいなことなんじゃないかな。それで歯車がカラカラして不調和が起きてしまっているように思う。
まぁ、今ちょっと触れ始めただけの概念だからまだまだ見つめていきたいけど、それよりも僕は今、松岡正剛さんという方を知れただけでもハッピーだよ。