ある日の坂道と欠落した感覚
僕が通っていた和歌山大学は山の上にある。その大学に行くにはちょっぴりだけ坂道を歩いて登らなきゃいけないし、帰るときも降りなきゃいけない。もちろん、ちゃんと整備されていてバスなんかも通っていたけれど、僕はなんだかんだその坂道を歩いたり自転車を漕いだりするのが好きだった。
ある日、いつものように大学の講義を終えてその坂道を自転車で降りていたら、道中を友人が歩いていた。僕は何の気なしに「乗ってく?」と言った。そいつは女性だったんだけれど、「え、いーの?乗ってく」と快諾してくれたので、その子を乗せて自転車でぷらーーっと坂道を降りて、そのまま家まで送った。
後日、それを見かけたらしい部活の先輩が「え、おまえら付き合ってんの?」みたいなハナシになった。また面倒なことを言うもんだなあ、と思ったものだけれど、どれだけ否定しても取り合ってくれなかった。僕からすると「別に男だろうと女だろうと、友だちだったら乗ってく?って言うでしょ」というだけなんだけど、どうやら女性を自転車の後ろに乗せるのは一大事、な世界があるらしい。
たまに「色恋や性愛なしに女性に優しくする男なんていない」みたいな、とんでもないハナシを耳にすることもある。そんなバカなハナシがあるかいね、と思いながらも、一定の市民権を得ているらしい。いや、今の時代、市民権を得ない言論なんてないのかもだけどね。いやまぁそれはおいといて。そういう文脈で捉えることが、みんな好きなんだなあと思う。
ただ一方で、この年に至るまで、こんなにも多くの人間がいる中でこうも悉くみんな、カップルなりなんなりになっていくのか、そこに働いている力学はなんなんだ、と驚くことも多い。僕なんかは誰かと生きるってのはあんまし想像できないから「えぇ、君も誰かと暮らしてるのかい」「君もかい」と驚くばかりだ。10代や20代前半ならまだしも、30代や40代でも、その引力はあるらしくて驚く。
まぁ何が書きたかったわけでもないのだけれど、ふとね。僕のわかりやすい、欠落した部分だよな。でも、「乗ってく?」って言って、なんの色目もなく「いいの?乗ってく」って言ってくれたあの子には感謝だね。今も元気だといい。