何やら考えることもなく
随分と秋模様となった風景を見ながら歩く。スイッチがあるように切り替わるのではなく、だんだんと移り変わる。山の色には黄色が混じり、空気は澄んでいて空はくっきり。風が鋭さを増している。1日は短い。生を謳歌していた鳥たちは、気付けば試練の日々への準備をしているようだ。鷺が子どもたちを見守っている。
季節は移るし、日々は変わる。咲いても朽ちるし、あるいは朽ちたと思ってもまた咲くものだ。戻ることはなくとも、移り変わり、それらは廻っている。螺旋階段のように。自然豊かな土地に住むと、それを感じ取ることができるから、僕は好きだ。
最近、俳優の柄本明さんのインタビューを読んだ。そのインタビューはとても淡々としてはいたのだけれど、その一言一言は、すごく、なんだろうな。すごく僕には心地よかった。その言葉が欲しかった。そう思える言葉が、もう冒頭から繰り広げられるんだもの。
「俳優とは、他人が書いたことを言う、それだけ。(中略)でも、書いてあることって、言えないよ。ためしに言ってごらんなさいよ。すぐわかるから。(中略)何かやろうと思ったら、何やら、考えることになっちゃうでしょ。」
僕の仕事——いや、人生もそういうものでありたいなあ、と思う。つまり、何も考えることなしに、ただ、やるということ。それが自然で在るということが、僕にとっては一番欲しいものなんだ。究極的に「僕のやることはXです。それ以上でもそれ以下でもない。」と言えるXが欲しい。
こうやって文章を書くことは、そのXにとても近いね。これは、ただ書いているモノだし、ある種そこを目指している。あれやこれやと考え始めたら、書けなくなるし。だから僕は何も悩まずに、「毎日書くぞ」というのを当然そこにあるものとして始められる。
あるいはモノづくりもそういうもので在りたいね。たとえば、僕がブログシステムDiarinを自作したのは、現存するものが「なんだか使いづらいな」と思ったから自作した、というそれだけで。「こういうのあったら、良いでしょ?」と思うものを作っていただけで。だから、まぁ少なくとも僕にとっては最高のブログシステムができあがっている。自作エディタのTypewriterinもそう。「こういうエディタが良いでしょ?」と思ったものを作っただけ。考えなくて済んだ。なんで縦書きをサポートしたんですか、って「あったほうが、僕には良かったんだ」だけでいい。
考えるのではなく、やるだけ。あるいは、「やる」という状態に在るというだけ。それしかないよな。逆にその状態にないのにやろうとすると、まぁ軋みが出るんだわな。僕にとってはきっと睡眠がそれなんだよなあ。