信頼という言葉は、案外と信が置けない
信頼って言葉は、その言葉自体のあやふやさと、言葉の醸し出す堅固さが、見合っていない気がする。「信頼と実績の」とか言うけど、いや実績はわかるけどさ。「信頼がある」ってのはなんだい。どういう状態を信頼というんだろう。逆に「信頼がない」とは?
かくいう僕も結構不用意に「信頼が一番だよ」とか言うし、そこには納得感がすごいあるんだけれど、一方で、ソレって本当に「信頼」ってやつなのかい。と。ちゃんと見つめようとすると、陽炎のようにゆらぐよな。信頼されてる、信頼されてない、って実は存在してないんじゃないかい。
いやなんでこんなハナシを、というとさ。たまに同僚とかから「イオリンさんは信頼されてますよね」みたいなことを言われるわけだ。それはとってもありがたい言葉なんだけれど、一方で僕は毎度ちょっと困るというか「そんなことないっすよ」みたいなことを返しちゃうのだけれど、別に「信頼されていない」と思っているわけではなく、僕の世界には「信頼する」っていう言葉に実体がないんだなあ、と。
ただ、一方で「信頼してます」っていう言葉だったり、あるいは困った時に相談したり、っていったことは実体があるでしょう。それで十分じゃないか、と。そこで嬉しいなあ、とほっこりすれば、それだけでいい。あるいはまぁ逆もそうで、「別に相談しに来ない」「話しかけない」とかなら、それで十分だと思っている。それが全てで「信頼する」とか「思惑がある」とかは後付けだ。
とはいえ、たまに答え合わせをしたくはなるけれど、それは、なんだ。余命宣告された後で良いな。老後の楽しみだね。「あの時は、信頼されていたのかい」とヨボヨボになってお茶をすすりながら聞くのは、楽しそうじゃない。いや老後になったら忘れてるだろうけどね。