崩れていないということ
SNSの読み物で、モテに関する文章があって、「要は崩れていないこと」みたいな言葉があった。僕はまぁモテに関してはわからないけれど、自分自身がみっともないオジサンにはなりたくないな、とは思っていて、その肝要は同じく「崩れていないこと」だと思うのでよく分かる。僕の言葉で言えば「流れていること」だけれど、多分、「崩れていないこと」のほうが伝わりやすいと思う。
これは例えばそうだな、お誕生日会を開くときとかもきっとそうだと思う。つまりはその「お誕生日会」というモノが崩れていないことが、良い感じの場を作る、一つの秘訣だと思う。たとえば仕事の事が頭に残っているのに無理やり参加する、だとか、あるいはそんなに誕生日に興味ないのに世間の様子を調べて飾り付けてして・・・とかだと、なんか崩れてしまう。
僕はプレゼンとか説明会とかをするときは入念に準備をする。資料を用意するだけじゃなくて、ハナシの流れを考えて、頭でシミュレートしたり、あるいは実際に口に出して反復練習をする。それは、そのプレゼンとか説明とかを身体にしみ込ませることで、そのプレゼンや説明を「崩れていない状態にする」ためだ。一回そうなれば、もう台本も何も不要になって、実際その場でアドリブが入っても問題なく説明できる。
まぁもっと言えば、「自分が説明する」という状況それ自体が崩れていなければ、それだけで練習は不要になるのだけれどね。
で、まぁじゃあどうやったら「崩れていない」という判断ができるかというと、これはもう目を肥えさせるしかないのかなあ、とも思う。いろんなものを見て、それで「あ、これはいいなあ」とか「これはちょっとみっともないなぁ」とか、そういうのを体験するしかないのかな、と思う。
だって、最終的には「君は(僕は)それが良いカンジだと思ってる?」っていう1つの問いが全てだから。そのためには「良いカンジ」「悪いカンジ」を感じられるようにしなきゃだもの。