イオリンの手紙

瓶詰めの紙切れ

逃げていい、ということ

「クソなことからは逃げていいんだぞ。いつでも、どんな状況でも。」 読んでいる漫画でこんな言葉があって、不意に、とても不意に胸を突いた。この言葉と出合ったのはもう何ヶ月も前だけど、今でも思い出すし、読み返してしまう。当たり前のようなことを、平易な言葉で表している。ある種の理想だ。 僕の周りでも、「クソなこと」ってやつは往々にしてある。もしかしたら僕も、「クソなこと」に遭遇してきたのだろう。ある穿った目線で言えば世の中はクソなことだらけだとも言えるかもしれない。 僕自身、そんなクソなことからは逃げていい、と思っている。でも、実際には「逃げられない事情」ってやつがあるわけだ。わかりやすいハナシ、家族やお子さんがいれば、簡単に逃げるわけにはいかないだろう。あるいは自分の未来のことを考えてもそうだ。食っていけなくなるかもしれない、と思えば逃げるのはきっと難しい。 でも、そんな雁字搦めの状態に陥った結果、ある日突然、つぶれてしまって取り返しのつかないことになるかもしれない。そう考えると、やっぱり逃げていいと思う。 僕がふんわり思うのは、逃げた時の逃げ先、避難所・休憩所のようなものがあるといいのになあ、ということだ。それは未熟な頃から夢見ている。「逃げたらいいよ。その時は支えるから」と言えるような。ね。 まぁそれはなんか山小屋とかで働いてみたらいいんじゃないか、と思うけれどね。今年、尾瀬の山小屋にいって実感した。あそこで働くことは、良い避難所にもなるよ。そう思うと、そこへの導線のほうがきっと大事なんだろう。 同漫画ではこんなセリフもある。長いからちょっと要約するけれど。こんなセリフ。 「今は何もしなくてもいい。俺が守ってやる。その代わり、いつか必ず、ちゃんとしなきゃいけない時がくる。その時になったら、ちゃんとしろ。」 良いセリフだ。おすすめです
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