イオリンの手紙

瓶詰めの紙切れ

ほんならその次は何やるんや

「夢に手足を」というスローガンがある。夢を語るだけじゃなくて、その夢がちゃんと歩き出して進めるような手足をつけましょうね、ということだ。この言葉はあまりにも秀逸だから、僕自身が掲げることは憚られるけれども、「手足をつけましょう」というのは意識するようになった。 たとえば企画・計画と呼ばれるものの中には、手足がついていないものも多い。手足がついていないけれど、チェックポイントだけが記されている計画というのはいっぱいある。たとえばそうだな、関東から京都まで進軍するぞ、という計画書があって、静岡から岡崎、名古屋を通って・・みたいなのがある。 でも、実際にそこを進軍するには「兵糧はどうするんだ」「道中のお城はどう攻め落とすのか、あるいは懐柔するのか」などなどがないと、進軍はできない。そういう計画に対して、「じゃあこのお城の状況を調べましょうか」「ここまでは1日目で進んで、ここに逗留しましょうか」「兵糧奉行を任命して、彼に運搬計画立ててもらいましょう」みたいなことが、計画に対する「手足」だ。それらがあれば前に進むことができる。 そしてきっと、僕はそういうことが得意なのかもしれない、とは思う。自分が手足をつけてあげると、計画は前に進み出すし、逆に「コレ、手足ついてへんよな」と思う計画は、やっぱり転ぶ。そういうことが少なくない。 でも、じゃあなんで手足をつけれるんですか、なぜわかるんですかと聞かれると困るんだよなあ。「見ればわかるでしょうに」でしかないよねえ。強いて言えば「ほな、これ一歩前に進めるなら何するんや」「ほんでその次はなんや」これの繰り返しを自問すること、かな。
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