イオリンの手紙

瓶詰めの紙切れ

本当に知っているかい

わかっていると思っていることについて、実はわからなかったと気付くことだとか。あるいは、いつか叶うと思っていたことが叶わないことを知るだとか。はたまた、乗り越えられると思っていた壁が、乗り越えられそうにないと思うことだとか。 そういったことは、難しい。特に、独力では不可能に近いのだと思う。水中を泳ぐ魚が大空の広さを独力で知ることができないように。自分の世界の外に行くということは、誰かに手を引いてもらうか、あるいは無理やり外に蹴飛ばされるか。とにかく自分以外の力学に頼るのが一番だ。 ただ、他方で「ただ他者に連れられるだけでもいけない」という構造がある。誰かに勧められるがままに読んだ本も、結局は自分自身で「おもしろ」と思わないと入ってこないようにね。 世の中はお金であると、多くの人は云う。お金は大事だと。でも、それは順番が逆なんだな。世の中には大事なモノが先に在って、それをわかりやすくするためにお金があるのでしょう。お金があるから家に住めるのではなく、家を借りたいならお金を払いなさいと誰かが決めたんだ。 でも、それを僕が誰かに説いたところで、説かれた誰かが気付くしかない。「気付いた」というカンチガイを引き起こすしかない。 僕は時折、大まじめに「大自然の中に行くべきだよ」と云う。他者とは、人間だけじゃない。自然の中にいれば、鳥や草木、川、太陽、星々、それらが僕らに気付かせてくれる。冷静に考えなよ、あいつら、二酸化炭素から酸素生み出すんだぞ。日々、営んでいるだけなのに。わかっていると思ってたけど、本当にわかっているかい、そのスゴさを。 自分がわかっていると思っている範囲なんて、ちっぽけなモノ。ジョブズもイーロンも、光合成に比べたら大したことないのさ。宇宙に行こうと必死こいてる人間をヨソに、何の努力も必要とせずに太陽系は廻っている。それを、本当に知っているかい。 逆もそうだよ。君は3兆個だかなんだかの細胞が日々サボっていないんだよ。心臓は、君が生まれてから今日に至るまでサボったことはない。呼吸だって途絶えたことはない。すごいだろ。大したことない僕らは、大したことをしている。大したことをしていると云われていることの中身は、案外空っぽだ。
前へ
一覧
後へ