イオリンの手紙

瓶詰めの紙切れ

在るように線を引く

誰かと暮らす、誰かと生きるということを人生における要素から省いてから、どれくらい経つだろう。ちょっと前まで思っていた気もするし、10年以上思っていない気もするし。まぁ季節のように移り変わるものだから、もしかしたら明日、思っているかもしれないね。 少し前までは犬や猫などと暮らしたいとも思っていたけれど、そう在るにはもう少し先かな、とも思っている。今の家ではそもそも飼っちゃいけないのだけれど、それ以上にまだ在り方が、そうなっていない。誰かと暮らす、ということと近いかもしれないけれど。 たとえば僕がもうちょっぴり先に、今よりももう少し自然に近いというか、そういう生活をしてからかな、とも思う。今、僕が犬や猫と暮らすという有り様を想像すると、なんだか歪に思う。なんか良くない。バランスを崩している。そう思う。 そういうバランスというのは、まぁ先に話した通り、移っていくものではあるけれども。重心をしっかり持って、まんなかで在るように意識するというのは、僕の生き方においてはとっても肝要なことなんだ。 仕事とか、遊びとかもそうだろう。結局は「どう在るか」が大事で、それが自然であれば、忙しかったりだとか、困難が立ちはだかったりだとかは構わない。逆に言えば、そこが歪なら暇でもつらいものがある。 そも、仕事では「在り方を正す」「在るように線を引く」ということを生業にしている気もする。おお、そうだな。「在るように線を引く」は僕の仕事だな。いやあ、これを伝わるように説明するのは難しいし野暮だし、ってなものだけれどね。
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