イオリンの手紙

瓶詰めの紙切れ

切なさも含めていいものだ

今でこそ独り身が骨身に染み付いてしまった僕だけれど、以前は誰かと過ごす時間が恋しいというか、楽しみというか、そんな時期があった。最近あまり会えていない人に便りを出してみたり、近くまで来た時に飲みにいかないかと誘ってみたり。あるいは家に誘って小さなパーティ…とも呼べないような会を開いたり。そんなことをしていた。 そうして過ごした時間の中に楽しくて仕方がない時というのは確かにあった。でも毎回僕は、その終わり際には、寂しさというか、切なさを感じていた。それは「ああ、終わっちゃうんだなあ」という気持ちでね。それは、その場、その空間が楽しければ楽しいほどどうしようもなく押し寄せてきて、なんだか泣きそうになるような、そんな切なさ。 誰かと過ごす楽しい時間とは、常に「その時が終わる切ない時間」と隣り合わせにあるんだろう。ただ、今では、そういう時間も含めて良い時間なのだと言える。例えば誰かと会う前日にちょっとワクワクしたりとか、待ち合わせで少しドキドキしたりだとか、あるいは帰り際に切なくなったり、そういったのも含めて、「人と会うことを楽しむ」という行為の中なのだろう。だからその切なさは健全だし、いいものだ。 今はもう、そういったこと自体をすることがほとんどないし、「それも含めてだよな」と思うようになったから、今書いたような切なさを感じることはあんまりなくなったけれどね。
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