イオリンの手紙

瓶詰めの紙切れ

偏屈じじいになりたい冬

「イオリンって他人に興味がないでしょ」とたまに言われる。たしかにその通りかもな、と思いつつ、ちょっと違うんだけれどな、と思うところもある。ただ、僕が興味を持つ範囲は、どうやら一般ウケしない、ってことなのだと思っている。そして多くの人たちが興味を持つ範囲に、僕は興味がないことが多い、ということだ。 だから、他の人たちが、いわゆる雑談と呼ばれる会話を成立させているところを見ると、「すごいなぁ」「奇跡だなぁ」なんてことを思いながらそれを眺めている。もちろん、たまに僕も雑談を成立させることはできるのだけれど、そんなに多くはない。 そこにもう是非の感情を持つこともなくなったのだけれど、たまの寂しさを感じなくはない。たまにそれがフッと立ち、自分にまだそんな寂しさを感じる部分があったんだなと驚くぐらいのモノだけれど。とはいえ、お互いに無理に興味を持つものでもないから、それでいいんだと思う。寂しさも真冬の夜がそうさせているだけだろうし。 そういう経験から、サシの飲みとか古い知人とかでない限り、自分のハナシをすることもしなくなった。こうやって筆を取って感じたことの輪郭を切り取ってみるばかりだ。これこそ僕が最も興味のあることのうちの一つ。ゆくゆくは偏屈じじいになるのが夢である。それはきっと8割方叶っている。
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