イオリンの手紙

瓶詰めの紙切れ

好きでもキライでもない

メタルギアソリッド3というゲームの中にこんな会話が出てくる。 「好きなの?」 「そういう感情じゃない」 「キライなの?」 「好きかキライか、そのどちらかでないといけないのか」 多分、この会話に出合ったのは高校生の頃だ。色恋も知らぬガキんちょの僕にも、この言葉は何か思うところを残していった。当時の僕は女性恐怖症に陥っていて男子校を選んだくらいには、いわゆる「異性」ってものが関わることを避けていたが、その忌避感情を言い表してくれたような気もする。 さても男女の好きキライに関わらず、そういった二元論というものは相変わらず社会を覆っている。人が言葉を使いはじめると、すぐにそういう二元論が発生する。金か金じゃないか。美味しいか不味いか。暑いか寒いか。幸せか不幸か。そうやって、言葉を使って何かを輪郭取ろうとすると、すぐに「NOT」のほうも付けたがる。 でも、そういった平面の世界ではないのだ。「好きでもキライでもない」「でも尊敬している」という、別ベクトルの部分にも世界はあるのだ。あるいは「別に尊敬はしていない」「でも尊重はしている」とか。「幸せでも不幸せでもないけれど、チョコが美味しい」とかもあるだろう。そしてその上で「いや、僕は君が好きだよ」もある。 何度も書いているけど言葉とは後付けだから、自分のことも、他人のことも、多角的に、あるいはもっとウヤムヤに捉えるくらいがいいと思う。それが見たまんまということだ。 ちなみに先の会話は続きがある。好きかキライかを問うたのは女性なんだけど「どちらかでないといけないのか」に対して、こう言いきる。 「そうよ。男と女の間柄はね」 こっちの言葉は、当時の僕にはまったく分からなかった。今は、「そういう世界観もあるんだなあ」というくらいには、こういう考え方を理解できなくもない。
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