イオリンの手紙

瓶詰めの紙切れ

意地じゃなきゃ辿り着けない

先ほどまで同僚と飲んで、そしてホテルに帰ってきてからこれを書いているのだけれど。今日は難産だぞぉ。もう5つくらい書いては消してを繰り返している。本当は「一体何度、"筆が進まない"というネタを使うつもりだ」と自分を攻め立てたいところで、だからこそ5回もトライしていたわけだけれど。結局はこうして脳を垂れ流す所業に身をゆだねている次第だ。 明日も仕事があって眠いのになぜそんなことを、と言われればそれはひとえに「意地」でしかない。毎日書く。朝起きて寝るまでに一本を毎日書くと決めた。それも意地でもやるぞと決めたのだから、それを意地でもやるんだ、と。それでしかない。 そしてまぁそういう意地でしか鍛えられない体感というのはどうしてもあって、それこそこうやって「書くことがないぞぉ〜」と悩みに悩む中で書くこの文章でしか鍛えられない部位がきっとあるんだ。うん。そう信じている。 こういうのを非論理的だとか非科学的だとかで切り捨てることもできるけれど、なんだか特にここ半年くらいは、そうやって切り捨てて進んでいる人たちはとっても大事なモノも一緒に落としていっている気がするんだよ。鍋で灰汁(あく)を取るつもりが、なんかお肉も取っちゃってないかい?みたいな。 ここで「どうせ誰も見てないんだし、明日もあるんだからさっさと寝なよ」と言う決断をするほうが、きっと誰から見ても合理的なんだろうけれど。それでもそれをしない。それでしか辿り着けない場所が、きっとあるのさ。絶対。うん、おやすみなさい。
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