イオリンの手紙

瓶詰めの紙切れ

「よろこび」があれば

「しあわせ」と「たのしい」と「よろこび」は、全部違うよな。ふんわり捉えると重なって見えるこれらだけれど、ちゃんと見つめれば、全然違うものだよなあ。 しあわせは、大気や土壌のようなものだよな。しあわせについて考えるなら大気が澄んでいるかどうかを考えるかのような気持ちで捉えなきゃいけない。最近、楽しいことあったかな、じゃなくて、全体として、自分のなかの流れとして「しあわせだなぁ」と。 「たのしい」は、もう少し瞬間だよな。友人と飲んだお酒はたのしかったなぁ、といったようなことで。でもこれは「しあわせ」とは別で、「たのしい」は「たのしい」なんだよなあ。まぁ、おおよそは「たのしい」が続けば窓が開いてきて大気が「しあわせ」に近づいていくものだけど。 そして「よろこび」ってのは、こいつはなかなかに興味深いものだよなあ。最近、君はよろこびについて考えたことはあるかい?実は、「しあわせ」とか「たのしい」に埋もれて、「よろこび」を見つめることはなかったんじゃないかい。 でもね。「しあわせにならなきゃ生きている意味がない」みたいな言葉があるだろ。あれは、実は「よろこび」のほうが適切なんじゃないかと思うんだよ。つまり「よろこびがなきゃ意味がない」。 とびきりの「しあわせ」じゃなくても、日々が「たのしい」に包まれていなくとも。「よろこび」があるならいいだろう。 それこそ子育てってのは、そういうもんじゃないかなあ。
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