ひとりじゃない、という言葉
仕事がある日とない日でもっとも違うのは、関わる人間の量だろう。仕事がない日はそれはもう、人と関わらない。会話や交流はお店の店員さんだけだ。仕事がある日は、まぁそうはいかないし、何十人、あるいはそれ以上の規模。お客さんをいれると想像がいかないくらいだ。少なくともゼロではない。
僕としては、やっぱりゼロ、いっても1くらいが気楽だなあ、なんて思う次第。だからリモートワークで田舎に引きこもっているわけだし、実際、仕事していても「個」の方が力を発揮しやすかろう、とも思う。
さてもこういうことを言うと、「ひとりで生きていると思うんじゃないよ」という茶々が入りがちだ。誰かに言われるでもなく、僕自身が自戒という形で茶々を入れる。いかんぞ、と。お前ひとりじゃないんだぞ、と。
世の中はそういう物語で溢れている。もちろん、実際そうだ。でも、それを言い出すと、僕らが生きているのは酸素を供給してくれている植物やプランクトンのおかげだし、それがオゾン層を構築しているのだとしたら、僕らすべては「人間だけじゃないんだぞ」という、なんとも説教くさいハナシになるじゃないの。
つまりは、そういうハナシじゃないんだ。そういうハナシじゃないところに正論のようなことをぶつけられるから、実のところ「ひとりでやっているんじゃないんだぞ」「みんなチームだぞ」という言葉にそこまで全幅の信頼を置けない。「そんなんわかってるがな」と言いたくなる。
それに、この言葉を多用すると「君のおかげだ」「君の手柄や」さえも言えなくなってしまう。
たとえば、シュートを決めてガッツポーズ決めてる人に対して近寄って、「お前ひとりちゃうからな」とか言わんでしょう。大衆を湧かせている矢沢永吉さんに「お前ひとりちゃうからな」って言わんでしょう。シュートを決めたのはそいつだし、みんなが熱狂しているのはYAZAWAでしょう。
そういうのさえまとめて希釈してしまう気がする。だから「そこは言わんでおきましょうや」としときたい。でも、たまーーに抜け落ちてしまっていることもあるから、なかなか捨てるに捨てられないんだなあ。