佇む
僕の1日は、起きて、熱めのお湯を入れて飲むところから始まる。目覚ましはかけない代わりに、7時くらいから部屋が明るくなりはじめるので、それにあわせて起きる。そして、ラジオのように何かを聞きながらスターバックスまで歩く。平日も日課も、なんだったら東京にいるときも変わらない。
おおよそ「何もしない」という時間を適度に差し込むようにしている。より正確に言えば「佇む」というのをしている。最近は外を歩くと寒いから、スターバックスに着いてコーヒーを飲みながら、かじかんだ指が動き出すまでパソコンも触らず佇んでいることが多い。
おおよそスマホが出てきたあたりからかな。いや、もう少し前から、隙間時間という単語が影響力を持ち始めた。ライバルと差をつけるには、お手洗い中にも本を読め、みたいなのが、iPhoneよりも前からあったように思う。それがiPhoneが出てきて隙間時間の奪い合い合戦がはじまり、それがタイパという単語を生み。昨今は冷笑されつつも、人は依然、手や目を動かし続けている。
人は余白を埋めたがる生き物だから、隙間時間という単語が出てきた時点で、それらをどうにか埋めていくように流れるのは当然かもしれない。でも、佇むことでしか育まれないモノはある。暇でも隙でもない、「間」というものが必要なことはいっぱいある。広告ポスターにおいて余白が生む価値があるように。
間は空ではなく、在るものであり、創るものだから。