イオリンの手紙

瓶詰めの紙切れ

自分で書いてみる

仕事という言葉とか、人間という言葉とか、そういう言葉は当たり前のように僕らの生活にのさばっているけれど、その生まれは思ったよりも最近だ。 より正確に言うと、その言葉自体は古来からあったとしても、文明開化だとかGHQだとかいったところを経て、Workという意味と結びついたのは、ここ最近だ。 それよりも前、仕事=為事というのは役目であり、「勤め(務め)」であった。つまり、生計を立てるための「稼ぎ」ではなかった。農家の人が治水・感慨をして田畑を維持するのは「務め」だ。その上で農作物の年貢を納めたり、地域で配ったりして、生活を維持するのが「稼ぎ」だ。放蕩息子を戦に出すのも「稼ぎ」だ。 ただ、これがアメリカ資本主義によって同一化してしまった。「務め」と「稼ぎ」が同義化されてしまった。 僕は何もアメリカ資本主義に抗したいと思うわけじゃないけれど、ここに関しては「さすがに一緒くたにしすぎた」とは思う。「やりがい」と「収入」が同じ机の上に並べられて二項対立を迫られている。元来、どっちも求めていいし、なんだったら稼ぎも務めも立派にこなして、初めて一人前なのだ。 と、まぁここまでタラタラ書いたことは受け売りだけれども。こうやって受け売りでも自分で書いてみるのは、案外僕の骨身になっている気がする。
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